村社 大歳神社(朝来市和田山町土田)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 大歳神社
読 み おおとしじんじゃ
民部カキベ神社(贄土師部ニエハジベ神社) 祭神 野見宿祢命・吾笥命
所在地 兵庫県朝来市和田山町土田ハンダ上ノ山1238
旧地名 但馬国養父郡石禾イサワ郷土田村
御祭神 主祭神 大歳神オオトシノカミ
例祭日 10月17日

社格等

近代社格制度 旧村社
創建   年代不詳(養老7年(723) 『国司文書 但馬故事記』)
本殿様式

境内摂末社(祭神)

不明

一口メモ

下記の通り『国司文書 但馬故事記』をみると、人皇21代雄略天皇17年(473)春3月朔 土師連ハジノムラジ等に勅して、朝夕の御膳ミケを盛るべき清器スエキを進ぜしめ給う。すなわち土師連の祖、吾笥アケは、摂津国来狭々クササ村・山背ヤマシロ国内村・俯見フシミ村・伊勢国藤形村及び丹波・但馬・因幡の私民部キサカキベをたてまつり、贄土師部ニエハジベと云う。
とある。我が日高町(旧気多郡)の陶谷神社、竹野町の森・阿古谷神社など訪ね、最後に残っていたのが土田の当社である。
今日当たり前のように使用している食器だが、日本人が食べ物を器や皿に盛って食すようになったことを意味する起源はここではないか。極めて土師とは日本人が文化的食生活を営むためのすべての製造業分担の民部を設けた基礎であるかもしれない。そんなところから、土田と書いて「ハンダ」い読む地名は、昔から気になっていた。正確には「土」に点が入るが、当用漢字にはないので土田。当時の最先端のテクノロジーである陶器作りに適した土があったのだ。分業化のルーツといえる。それは単に土ではないという意味だろうか。豊岡市にも土渕と書いて「ヒジウチ」、福知山市の羽束師などかつて土師連に由来する地名は、農業以外に清器つくりが工業として発祥した贄土師部が住んだ土地である。土田のすぐ隣の平野にある但馬最大の前方後円墳池田古墳から大量の鳥などの埴輪が発見された。おそらく土田の贄土師部の人々の製作だろう。

歴史・由緒等

創立年月不詳
明治6年(1873)10月村社に列せらる。

「兵庫県神社庁」

人皇21代雄略天皇17年春3月朔 土師連ハジノムラジ等に勅して、朝夕の御膳ミケを盛るべき清器スエキを進ぜしめ給う。
すなわち土師連の祖、吾笥アケは、摂津国来狭々クササ村・山背ヤマシロ国内村・俯見フシミ村・伊勢国藤形村及び丹波・但馬・因幡の私民部キサカキベをたてまつり、贄土師部ニエハジベと云う。
夜父ヤブ土田ハンダ村これなり。土師の民部・内蔵の民部はこの地に居り、のち部落を為す。
土師の民部等はその祖、野見宿祢命ノミノスクネノミコトおよび吾笥命アケノミコトを土田丘に祀り、これを民部カキベ神社と云う。

『国司文書 但馬故事記』第三巻・養父郡故事記

境内・社叢

  
社叢                        拝殿

  
境内社

地名・地誌

石禾郷(いさわ)

石禾郷は石禾彦命鎮座の地なり。この故に名づく。石禾彦神社あり。石禾彦命を祀る。

土田村・手谷村・藤和村・盈岡村(今の宮田)・高田村・織機村(今の堀畑)

土田(はんだ)

人皇21代雄略天皇17年春3月朔 土師連ハジノムラジ等に勅して、朝夕の御膳ミケを盛るべき清器スエキを進ぜしめ給う。
すなわち土師連の祖、吾笥アケは、摂津国来狭々クササ村・山背ヤマシロ国内村・俯見フシミ村(今の京都市伏見)・伊勢国藤形村及び丹波・但馬・因幡の私民部キサカキベをたてまつり、贄土師部ニエハジベと云う。
夜父ヤブ郡土田ハンダ村これなり。土師の民部・内蔵の民部はこの地に居り、のち部落を為す。
土師の民部等はその祖、野見宿祢命ノミノスクネノミコトおよび吾笥命アケノミコトを土田丘に祀り、これを民部カキベ神社と云う。

地 図

兵庫県朝来市和田山町土田1238

交通アクセス・周辺情報

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参 考

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